短編ブログ小説

パンティのこと、ずっと


 僕の幼馴染の力丸は、高校までずっと柔道一筋だった。対して僕はというと、中学は帰宅部で、高校のときは文芸部の幽霊部員で、力丸とは全然違うタイプだった。でも不思議と相性がよく、友達付き合いは途切れなかった。かみ合わせが良かったのだろう、と僕は納得している。そのかみ合わせの歯はいびつで、きっと力丸がめちゃくちゃ出っ張っていて僕はめちゃくちゃへっこんでいるに違いない。といっても彼はクラスで突出したリーダータイプというわけではなかったが。
 力丸はクラスで目立つタイプでもなく、口数は少ないが空気を読むのがうまく聞き上手な宙太郎のようなタイプでもない。だけど、素直だし、顔もそこそこ。だんだん人間が擦れてきたり擦れようとしたりする男子中高生うごめく学園において、スポーツに対して愚直なやつは密かに女子に人気があったりするものだが、力丸の場合は度を超えていたので、そういう「密か」な層の女子もひいていた。
 力丸が中学2年のころ、こんな事件があった。

 力丸が所属する柔道部には女子部員は3人いるのだが、そのうち2人が風邪で休んだときのことだ。
 マイケル・南郷みたいな顔の顧問(ゴリラ野郎ってことだ)は仕方なく、その日の組み手練習を残り1人の女子部員、羽美(うみ)に男子と合同でやらせた。羽美は、一年生で柔道部にしては可愛い部類に入る子で、どちらかというと剣道部顔だ(当時僕はヒロインが剣道部のラノベにはまっていた)。
 組み手練習は、順番に別の部員と行うのだが、羽美の相手をする男子は、みんな遠慮がちだった。いつも3人の女子部員がいるとはいえ、基本的には男所帯の柔道部においては、女子でしかも剣道部顔の羽美と組み手をする事態に動揺しない男子部員はいないだろう。
 さて、羽美との組み手の順番が力丸に回ってくる。事件というのはここで起こる。なんてことはない。柔道に対して愚直な姿勢を貫く力丸が、このときも愚直な姿勢を貫いただけである。
 つまり力丸は、剣道部顔の一年生、羽美と組み手をして、隙を見せた彼女に対して、太い木杭をもぶっこ抜く強烈な背負い投げをかまし、床に叩きつけられバウンドした(噂では背中が5センチは浮いたらしい)その体にすかさず覆いかぶさり、横四方固めを決め、投げの衝撃によって肺がつまったことと恐怖で涙を流しながらうめく少女をきゅうきゅう締め上げたのだ。
 ゴリラ顧問は慌てて2人を引き剥がし、部員に指示して咳き込む羽美を保健室に連れて行かせた。
 力丸曰く、「手加減するのは失礼だ。女子も男子も関係ないし、柔道には無差別級もある」とのことだが、その理屈の正否も他意があったかどうかも関係なく、『力丸羽美蹂躙事件』の噂は学校中に広まり力丸は女子にどんびきされたし、そもそも無差別級っていっても出てくるのはだいたい重量級だ。
 ――というわけで力丸はその愚直さ故、柔道一筋だったし、柔道一筋にならざるを得なかった。
 余談だが、事件からしばらくクラスで陰口を叩かれていたのに、一週間もすればもとのポジションに戻っていた。これもまた愚直さのたまものだろう。

 そんな力丸だから高3で部活を引退し、受験も終えると、やることがなくなって猛烈に時間をもてあましていたようだった。大学では柔道はやらないらしいので練習はしない。
 そこで僕は自分が良く読んでいた小説を彼に勧めた。柔道だけではなく、引退後の受験勉強も愚直に行った彼は、小説にもすぐのめりこんだ。
 僕は、彼を退屈から救ってやろうという親切心だけで小説を勧めたわけではない。実はこれはちょっとした実験だった。僕は今も関係の続く幼馴染の力丸に対して、友情とは別の、彼の僕とは全く別種の生態に興味を持っていた。
 「愚直」は力丸の大きな魅力ではあったが、同時に欠点でもある。「愚直」は愚かなほど真っ直ぐ前へ進むこと。迷わないし、悩んでひとつ所に留まってしまうなんてことも人よりずっと少ない。
 そんな力丸に小説を与える。小説は「問い」である。その先には答えへの悩みや迷いがある。と同時に文字の集合体である小説は、答えに近づくための言葉を与えてくれる。作品によって内包する「問い」は様々だが、読むこと自体が考えることや迷い悩むこと、漠然としていた思考を言語化しさらに深く考察してゆく力を鍛え、習慣付けるのだ。
 この、思考の言語化を促す「小説」を、力丸の「愚直」に放り込むことで何が起きるか。僕はそれが知りたい。
 僕は力丸にいろんな小説を読ませた。
 それから僕らは別々の大学へ進学した。

 1ヶ月が経ったころ、力丸の大学近くのアパートへ遊びに行った。昼めしを食べに近所のファミレスに行った。力丸は1ヶ月会わないうちにずいぶん喋るようになっていた。
 小説から豊富な語彙を得た力丸は、言語化することによってどんな思考を世に放つのだろうか。
 彼は興奮気味にこんなことを言った。
「この世に女性が履いてるパンティは存在しない」
「うん」
 僕は聞きながら、注文したチーズハンバーグを一切れ口へ運んだ。
「だって見ることができない」
「うん」
 力丸は自分が注文した目の前のプレーンオムレツに目もくれない。
「見たとしても、その瞬間に『パンティ』の持つパンティたる甘酸っぱい魅力が別種の物に変化してしまうからだ。もろに見えたらそれはパンティじゃなくなる」
「うん」
「それはもうランジェリーだ」
「……うん」
 力丸、そんなこと考えてたのか。
「パンチラはどうか。見えた瞬間には意味が変質するパンティだが、パンチラという環境下においては、パンティの魅力は霧散しない。
 融点以下でも氷にならない過冷却水という状態の水があるが、特殊な状態のためわずかな振動などのショックで凍結する。パンチラ時のパンティの、存在の不安定さは、その過冷却水に似る。
 だが、パンチラも、厳密にはパンティの存在を証明しえない。なぜなら、見え方がチラである限り、そのちらっと見えたものがパンティであるという絶対の確証が得られないからだ」
「なんで? サポーターかもしれないから?」
「だってサポーターかもしれないだろう」
 聞いてないようなので、「……うん」と生返事をする。
「完全な形のパンティは見ることはできない。パンティは儚いものだ。パンティははかない。パンティ履かない。だから存在しない。履いてないから。つまりみんなノーパンである! うひょう!」
「………………オムレツ冷めるぞ」


   Fin...


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