第1話 パン屋でとろける
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ぎゃあああああ!!
悲鳴だ。周りの空気を引きちぎりそうな悲鳴が遠くで聞こえた。性別も判別できないくらいの、身体中から搾り出されたような声だった。 何があったんだろう。 行ってみよう。 僕はパントテン地方の雄牛の額のような建物が並ぶ町を歩いた。 時刻は昼。そういえば腹が減った。 町を歩いていて横切ろうとしたカフェから、ふとミミシス・クランベーヌがイースト菌をなんかアレして作ったパサパサした食べ物を思い起こさせる香りが漂ってきた。僕は足を止める。 悲鳴も気になるけど、腹が減っては戦はできないというし……。でも悲鳴の先に待ってるのが戦かはわからないし……。 「いただきます」 考えてると、もう店に入って、ミミシス・クランベーヌがアレしたあの……そう!パンだ!パンを注文して今まさにかぶりつこうとしているところだった。悲鳴も心配だけど体は正直だ。やっぱり食欲だね。 注文したパンは、空前のパンブームで有象無象のパン職人達が競って新しいパンを開発する今のパン市場で今だ根強い人気を誇るプアナンセ地方伝統のトゥーリッキア・ククルドーナにベンデの実を粗く砕いてトッピングしたものだ。懐かしさと高級感の両方を味わえるスーパーパンだ。値段もお手ごろ。まさにスーパーパン! 僕はスーパーパンをがぶり、と一気に頬張った。 その瞬間口いっぱいに広がったのは味ではなく、故郷で今も僕の帰りを待つ母の、再婚相手でリュネッセン剥きの達人でビュージかまきりに寄生する雄スラバロスクにそっくりな男の、母に対する優しさだった。 優しいんだ。彼は。雄スラバロスクにそっくりな彼、サラムーは。 スーパーパンの味わいはそれだけでは終わらない。 幾重にも重ねられたククルドーナ生地の歯ごたえと香ばしさからは、ガラムおじさんの早ソネスティアを初めて見せてもらったときの興奮が蘇るし、トッピングされたベンデの実の酸味と、噛むと同時に口の中で踊りだすその食感からは、裏アフダブ小学校時代からの親友でズィーロンガがとにかく上手なイゾ・ラフターと一緒に好きだったアリテゴ先生の家に遊びに行ったときの胸の高鳴りを思い起こさせた。 これはなんてすごいパンなのだ!故郷の味の……いや、これは故郷そのものだ! たまたま立ち寄ったカフェでこんな出会いがあるとは……。 これを作った人はもしや同郷の人では? 「すいませんがこのパンを焼いた人を呼んでくれませんか?」 気になって僕はウエイターにそう言った。ウエイターは笑顔で「少々お待ちください」と告げて調理場に消えた。 少し待っている間に、心に引っかかっていることがあるのを思い出した。何だろう。 ……そうだ!さっき聞いた悲鳴だ!こうしちゃ―― 「お待たせしました。何のご用でしょうか」 ウエイターがパン職人を連れてきてくれたようだ。 「あっ!」
パン職人の姿を見て僕はびっくりしてしまった。
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「あっ!」 ウエイターに連れてきてもらったパン職人を見てぼくは驚いた。 「どうも、ペリフィンと申します。最近ウチの女房が『イネス・サロベッタ』に出てくるビーカネラ・オム・ニッケンに熱をあげておりまして家事もロクにしないものですから、そんなヤツのどこがいいんだと言ったら、アイツまるでヌアジン小僧みたいな顔をしてミンカツィオを貫く雷ばりに怒るもんで、私いま気分が不安定なのですが何か?」 いらないことをたくさん喋ったペリフィンと名乗るパン職人はものすごい姿をしていた。人間ではなかった。ガンディラ・キプラ山の岩壁のようにたくましい胴体から、マイラの木の幹のように太くゴツゴツした手足が伸びていて、その全身が春のミクドリエ色の毛に覆われていた。太い首の上から見下ろす、パントテン地方の闘牛のような顔の威圧感は、ガルテア大婆の闇アマリスヘリ流・上段ゴリツェゴリのように僕の背筋を凍らせた。 彼、ペリフィンはギラアリテ地方に住む巨人族≪マコグリュエ・ベリエナハン≫だったのだ!
いや、びっくりだ。
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びっくりしたけど気を取り直して言う。 「ペリフィンさん、このパンはすばらしいですね。とても懐かしい感じがしました」 「やあ、そうですか。ありがとうございます。ウチの女房もね、昔はそんなふうに私の焼いたパンを『おいしい。イチュバラ・モが舞い降りたみたい』なんてよく言ってくれてたんですけどね、最近のアイツときたらティータイムに私がパンを焼いても見向きもしないで、近所のホイソイマキリで買ってきた安物のコボボねりばっかり食べるんですよ。『パンは胃がもたれるから控えてるの』なんてこと言って、私の焼くパンはもう飽きたってはっきり言やあいいのにアイツ、沼飲み干すウロブイセン気取りかっていうんですよね」 「は、はあ……」 またいらない話をするペリフィンさんだけど、気になってたことを訊いてみる。 「ククルドーナ生地を使ったあのパンは、むかし僕の故郷でよく食べた物にそっくりなんです。あなたはもしかしてオルシャネイ市のご出身ですか?」 もし彼が同郷だったら……。 でもよく考えたらちょっと嫌になってきた。この怖い顔の人と故郷の話で盛り上がろうものなら、それはさぞかし気力が消耗することだろう。怖いから。 ああ、しまった。訊くんじゃなかった。 しかし返ってきた答えは意外なものだったのだ。
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ペリフィンさんに僕と同郷ですかと訪ねたら、ペリフィンさんは、 「知りたいですか?そうですか、そこまで知りたいですか。でもどうしようかなー」 と、おどけた感じではぐらかした。僕はペリフィンさんを、なんだかとてもうっとうしいと思った。 別にちょっと気になっただけなのにそんなふうにもったいぶられると不快…… ……いや。 そうか。 わかったぞ。 僕が馬鹿だった。 そう、たしかにぼくは、ちょっと気になっただけでそんなに知りたいわけではなかった。 ああ!ペリフィンさんのなんと饒舌なことか。彼のちょっとした一言は実に多くのメッセージをふくんでいる。彼の言葉はまるで彼の焼くパンのようだよ。 彼の言いたいことはこうだ。 “私とあなたが同郷かどうかなんてそんなに知りたいなんて思ってないでしょう?あなたにとって私はおいしいパンを焼く巨人。それで充分なはずです。あなたはちょっとした洒落っ気で『フィレンスカの実を食べてこいた屁をニグレシャ鉄道にすまびろすく男』を演じたかっただけなのでしょう。自分にウソをつきなさるな。雌スラバロスクみたいな男と思われたくなければね。でもときには洒落っ気が大切なのも事実です。たとえばあなたが以前アリテゴ先生の家に訪れたときに、ムタワイク広場がいかにして回転式ミュギグリスやイーラカッセ返しなどの遊びの文化を育んだかをカイエラ神殿の建築様式とイグダ虫の求愛に例えた話で気を引いていればもうちょっと違った結果になっていたかも知れませんね。それで結局なにが言いたいのかというと、何かにとらわれて自分を見失ってはいけないということです。そう、あなたが私のパンをおいしいと素直に言ってくれたときのあなたが本当のあなたなのですよ。わかったのならいつまでもこんなとこにいることはありません。お行きなさい。なに、お代なんていりませんよ” 「ほんとですか!?ではお言葉に甘えます」 ありがとうペリフィンさん。僕は生まれ変わったよ!それにしてもお代はいらないなんて太っ腹だな、ペリフィンさんは。でもなんで僕のことあんなに詳しいんだろう?まあいいか。 僕は足取りも軽く出口に向かい扉を開けようとした。 「あっ!こら!!」 ペリフィンさんはその巨体に似合わぬ素早さで僕の前に回りこんだ。 そして彼は僕をにらみつけた。
何故だ。そして顔が怖い。
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ドアを出ようとする僕の前に回りこんだペリフィンさんは、闘牛のような顔を闘牛そのもののようにして、 「お金払うのを忘れていますよ」 と言った。顔のわりに穏やかな言い方がなんだかこわい。 それはいいとして、僕は耳を疑った。 「あれ?さっきお代はいらないって言ってませんでしたっけ?」 「そんなことは言ってません。ただでさえ女房がジェンガリゴラスを習いはじめて、あいつの気に障ることを言おうもんなら胴回しボバルヴィオをかましてくるから言葉には気をつけてるっていうのに」 ペリフィンさんはどういうつもりなんだろう。一度示した善意を自分で否定するなんて。 僕は脳みそをフル回転させた。IQ18万とんで140の自慢の脳みそを、だ(あとでちゃんと計り直したら110だったけど、そんな数字なんかリグレオ・イブチのつゆだ)。 僕の脳内で、角が24あって珠がある意味での野球盤みたいな形をしているとんでもなくユニークかつドルガバビリティも高いデザインの生ソロバンが、世にもグロテスクな動きと音で演算をはじめ―― 時間にしてコンマ2秒。僕は全てを理解したのだった。 「わかりました、お代は払わなきゃね」 お代は払わなきゃいけないのだ。僕はレジでお金を払った。 あーあ、何で勘違いしちゃったんだろう?何で・・・・・・。 僕がこんな、勘違いなんて・・・・・・。 ??・・・・・・不可解だ。 あれ?僕が勘違いなんてするわけないよ。だってIQ18万とんでるもの。 ということは! 僕はお釣りを受け取りながら言ってやった! 「やっぱりお代いらないって言ってたでしょ!男が一度言ったことを覆すのはみっともないですよ。全くボチブリリくさいったら」 「何を勝手に勘違いしてるんですか?お代は受け取りましたから、お引取りください」 あっ!すぐ言い返してきた! 言い方は柔らかいけど、ちょっと怒ってるな。何様だ!でも負けないぞ。こわいけど。 「いや、お代は返してください。ずるいですよ、善意を出したり引っ込めたり、あなたはあれですか?そういう動きをする――」 「何を言ってるんですか。本当につまみだしますよ?」 「あー、やっぱりですね。やっぱりあれですね。この、あれ!」 「あ、あなたね!おかしいですよ!」 「何ー!?おかしくないですよ!」 「おかしいです!」 「おかしくない!」 「おかしい!」 「おかしくない!」 「おかしい!」 「おかしくない!」 「おかしい!」「おかしくない!」「おかしい!」「おかしくない!」「おかしい!」「おかしくない!」「おかしい!」「おかしくない!」おかしいおかしくないおかしいおかしくないおかしいおかしくないおかしいおかしくないおかしいおかしくないおかしいおかしくないおかしいおかしくないおかしいおかしくないおかしいおかしくないおかしいおかしくないおかしいおかしくないおかしいおかしくないおかしいおかしくないおかしいおかしくないおかしいおかしくないおかしいおかしくないおかしいおかしくないおかしいおかしくない――
混ざり合っていく僕たち!気持ちいい――
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