連続ウェブ小説

よ し み


  第1話 はじまり 〜 ヤマトとヨドミ



      

 とくんとくん……
 うるさいくらいの鼓動。
 舞台袖で自分の出番を待ちながら、極度の緊張で震えが止まらない。
 こんな状態で大勢の人の前で歌なんて歌えるの?
 今の彼女は、これから2000人もの観客を魅了するアイドル歌手などではなく、ただの引っ込み思案の少女のようである。
 そんな彼女が間もなく立つことになるのは、観客収容人数2000人の大ホール、立浜やまかがしホールのステージだ。客席は満員で、今は静まり返っているが、ひしめく2000人の期待と興奮の熱気は舞台袖にいても伝わってくる。
「天童さん!」
 とつぜん背後から大声が聞こえて、彼女は驚き短い悲鳴をもらす。コンサートスタッフが彼女の側にいるマネージャーを呼んだのだ。
 マネージャーはその名を天童八万十(てんどう・やまと)という。整った顔立ちにぴっちり七三ヘアーの好青年だ。
 珍しい名前だが、不死身の鉄人である父、ゴッブの1万6809人目の妻の6人目の子ども……つまりゴッブの8万10人目の子どもというのがその由来である。
 とにかく、コンサートスタッフは慌てた様子で用件を言った。
「大変です!今、ナイジェリアからの国際電話で、天童さんのお父さんが何かやらかして、南半球にいる家族全員にリンチされてるそうです!」
「エェー!!」天童の全身にどっと汗が噴き出した。「家族って、南半球だけで何万人いるか知れないぞ……!なにやらかしたんだ親父ー!!」
 愛する父の原因不明のピンチに頭を抱える天童八万十であった。


      

 ドン、ドン、トコトン、ツントコ、ドン、ドン。
 大変だ!大変だ!
 わっしょい!わっしょい!

 お祭りである。
 活気につられて集まった、通りを埋め尽くす見物客をかきわけて、踊る女や神輿を担ぐふんどし男たちが練り歩いている。
 野太い声で、

 わっしょい!わっしょい!
 大変だったら大変だ!

 揺れる神輿と軽快なおはやしで、見物人たちも踊りだす。

 ドン、ドン、トコトン、ツントコ、ドン、ドン。

      ◇

 天童八万十(やまと)はタクシーに乗っている。サイドウインドから街の夜景を静かに眺めているが彼だが、数分前、父のピンチの知らせを受けて、頭の中はお祭騒ぎであった。
 父・ゴッブが南半球にいる家族全員にリンチされているというのだ。父は不死身の鉄人だが、南半球にいる家族といえば数万人にものぼるので、さすがにやばい。
 先ほどまで彼は、彼がマネージャーを務めている新人アイドルのコンサートで立浜やまかがしホールにいたのだが、知らせを受けて今タクシーで空港に向かっているところである。
 タクシーの運転手は、ぴっちり七三ヘアーでスーツ姿の八万十を見て「海外出張ですか?仕事とはいえうらやましいねー、ういうい」と、ふざけた感じ(なにせふぐの剥製みたいな顔だ)で話かけたが、脳内で大変祭りを開催中の八万十の耳には入らない。
「うらやましいねーってば!」
 聞こえてなかったと思った運転手は、もう一度話しかけた。
「・・・・・・(わっしょい!わっしょい!)」
 また無反応だ。
 よほど喋り好きなのか、運転手はしつこく話しかける。
「ねーってば!」
 もう何が言いたいのかわからなくなっているが、意地になって声をかける。
 しかし、そもそも話が聞こえてない八万十は、そんなことは気にも止まらずやっぱり無反応だ。
(大変だ!大変だ!わーっしょい!わーっしょい!ドンドン!ドドン!)
 八万十の脳内の祭りはさらに盛り上がりを見せる。じっと夜景を眺める彼の頬を汗がつたう。
 もう話をするのを諦めた運転手が「なんだよ、ちぇっ」みたいな顔でタクシーを走らせていると、背後から、
「・・・・・・しょい・・・・・・わっしょい・・・・・・」
 という声がかすかに聞こえた。後部座席の八万十がつぶやいているのだ。
「へっ?」
 怪訝に思って運転手はそんな声を上げる。
「・・・・・・たい・・・だ・・・・・・たいへ・・・だ・・・・・・」
 まただ。
(なんか気味がわるいなあ・・・)
 と運転手が引いていると、
「わっしょい・・・・・・わっしょい・・・・・・」
 さっきより声が大きくなった。少しずつ大きくなっている。少しずつ少しずつ声は大きくなっていって、ついには、
「わあーっしょい!!うわあーっっしょい!!たったっ大変だっ!大変だっ!」
 と全力で声を張り上げはじめた。
「な、なんだあ?」
 こわくなってきている運転手。
 八万十に声を出している自覚はない。
 脳内を舞台に催されているお祭の盛り上がりが臨界を超え、現世に漏れ出してきているのだった!
 それだけ、八万十は父のピンチに取り乱しているのである。
「うわあーっっしょいッ!!ぅうわあーっっしょいッ!!ドン!ドコ!ドンドン!ドコドンドンッ!」
 脳内祭はだだ漏れだ。しまいには狭い車内で手足を振り回して踊り出した。
 しかし八万十には自覚はない。
「えー!ちょっと!あっ、あぶないって!!やめてください!やめて!」
 運転手は、もはや運命にやつあたりするしかない心境だ。
 しかし、八万十は、今の気持ちを頭の中だけ処理しようとすれば精神がどうにかなってしまうため、こうして全身で放出してやるしかないのだ。そういうクセなのだ。
「ドドンッ!!ドンッ!ドンッ!ドンドコッ!ドンドンッッ!!」
「ひいいいいい!」

 夜のハイウェイを、中から天井や窓やシートや運転手を殴る蹴るされてふらつくタクシーが間近に見える空港に向かって走り、ほどなく到着した。
 八万十を降ろしたタクシーは、逃げるようにそそくさと去っていった。
「お金まだ払ってないのに・・・」
 自覚がないながらも車内で散々暴れて多少気持ちが落ち着いた八万十は、いいのかなーという気持ちでタクシーを見送ると、空港へ入っていった。
「まあいいか。もうけもうけ。うふふ」


      

 ここ、立浜やまかがしホールでこれから始まるのは、デビューシングルCD『にぎりこぶしひとつ分』を発売してから一気に世間に知られるようになった新人アイドル、六甲山ヨドミの初ライブだ。
 全力で駆け回っても狭くない大きさの、半円形ステージの真ん中に、今ヨドミは立っている。スポットライトの光をその白い肌と白い日傘のような衣装に反射させて、いかにもアイドルらしい輝きを放っていた。
 彼女の頬を汗がつたう。それは煌々と降り注ぐスポットライトの熱のせいだけではなかった。
 目の前の広大な観客席にいる2000人ものファン全員が、いま自分をみているのだ。ホール全体の照明はまだ薄暗く、観客の顔も視認しがたいくらいだが、無数の視線とこれから始まるパフォーマンスへの期待と興奮は肌で直接感じることができた。鼓動は早くて、鼻血でも出そうなくらいあがっている。
 そんな彼女の状態に反してホールはまだしんと静まりかえっている。濃密な静けさだ。
 ライブの開演時間をむかえて、大歓声の中、彼女がステージに登場してから、1分が経っていた。
 観客は今、彼女の声をじっと待っているのだ。
 2000人が自分の声を待っている。
 そう思うと、息がつまって、喉がカラカラに渇いていく。
 まずは来てくれたファンのみんなに挨拶しないと。
 しかしどうしても声が出なかった。初めてのライブへの不安と2000人もの観客が待っているという重圧、たくさんの人が関わる大ホールでの興行の主役という責任。
 そういったものがヨドミに極度の緊張を強いていた。
 喉の筋肉は固まっていて、横隔膜といっしょに呼吸が震えている。
「アイドルらしく元気に挨拶」なんてとてもできない。
 その後、歌も歌わなくてはならないというのに!
 彼女がステージに登場してからまだ1分ほどしか経っていなかったが、彼女にはそれが何倍にも感じられた。
 もう、ぼちぼち何か言わないと! 何か!
 焦る。
 顔を少し上に向けた。いま鼻血が出そうになった。
 誰か助けて!
 念じてもだれも助けてくれない。目だけを動かしてステージの袖を見るが誰もいない。コンサートスタッフも間もなくはじまるイベントの演出のためそれぞれの持ち場に出払っている。
 六甲山ヨドミがアイドルの道を歩み始めてからずっと二人三脚でがんばってきたマネージャーの天童八万十(やまと)も、一番いてほしいこんなときにいない。八万十は、ライブ開始直前に「なにやらかしたんだ親父ー!!」と叫びながらどこかへ行ってしまったきりだった。
 そんな八万十のことを思うと、だんだんイライラしてきた。ずっと2人でがんばって来たのに、一番大変なときになって自分ひとり放り出していったのだ。裏切られた気分だ。
 ふと、だんだん緊張が収まってきていることに彼女は気づいた。八万十への怒りが緊張を紛らせているのだ。
 とにかくコンサートは成功させなければならない。糸口を掴んだ彼女は、引き続き八万十への怒りをたぎらせた。
(あの、へどろまみらされ畜生太郎が!!)

「みなさん」
 マイクを通してヨドミの声がホール中に響き渡る。よくトレーニングされた、細いが通りのいい声だ。
 待ち焦がれた彼女の呼びかけに合わせて2000人分のざわめきがさざ波のように広がった。
「今日はわたしのために来てくれてありがとう!」
 今度は大波だ。2000人が、うおおおー!と、大歓声を上げる。
「……えー、あ、イ、イエーイ!」
 2000人も、イエーイ!
「ありがとう!ありがとう!……えー、今日は、あの、歌の前に、こうして集まってくれたみんなに、あ、歌の前に聴いてもらいたい話があるの!」
 わあああ! 盛り上がる。
(話って!? どうしよう!何も考えてないのに話って言っちゃった!)
 間。
「ほ、ほらっ!ほらっ!」
 彼女は咄嗟に、右手の親指の第一間接から先を、左手の曲げた親指にくっつけたり離したりする動きをした。指が取れたように見せる庶民派手品である。
 それをギャグと受け取って、ホールは、どわあああ!と好意的な笑いに包まれる。
(よしっ。アッ、よしじゃない。話、話を何か……)
「……このまえ、犬が飼いたくなってペットショップにいったときのことなんですけど、ケージの中のワンちゃんをみてて、かわいいなーとか、思って見てて、あっこのコ良い!っていうワンちゃんがいたから、店員さんを呼んで、店員さんがきたの。で、傑作なんですけど、ああー、ホントに笑いこらえるのに必死っていうか、死角から攻撃されたみたいな感じで、笑っちゃったことがあって、いや、声にはださなかったんだけど、もう。だってその店員さんの名前、犬井だって! 犬だけに、ハハッ! 名札にかい、名札に書いてた!」
 ……お、おお、おおお……。歓声が曇った。
「犬うってる店の店員、犬井って! あは!あは!」
 ……ざわざわ……ざわざわ……。ヘンな空気になった。
「あれ?…………えーと……」
(あっ、とっておきが滑った!えらいこっちゃ!)
 彼女は、ぜんぜん緊張がほぐれてなんかなかった。いくら八万十に対する怒りでごまかそうとしても、初ライブと2000人と大ホールの重圧を跳ねのけられるわけはなく、最終的にはやけくそになっただけであった。
 客席は不穏なざわめきに包まれている。彼女に対して、「なんだこいつ」という思いが湧き始めていた。
(どうすればいいの。こんなとき、こんなときは…………老師――!)
 そのとき彼女は、以前、中国の秘境カラマクタン大森林で拳の修行に励んでいたときのことを思い出した。



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